あけましておめでとうございます。
管理人です。

今年も変わらぬご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。
シリーズ化して参りました、「風俗の歴史と移り変わり」続編の第三弾になります。

~前回記事~
風俗の歴史と移り変わり①
風俗の歴史と移り変わり②


---以下、本文---

『ホテトル』

最初はソープ上がりの女性が始めた業種ですが、ホテルでトルコを意味する現在の『デリヘル』の元祖ともいえる派遣型風俗のはしりといえるものなのでした。

それがしだいに趣味と実益を兼ねた人妻が大量参入しはじめた
1984年(昭和59年)ころになると人気が急上昇していきいつしか『熟女ホテトル』の呼び名が定着し始めるのでした。

当時の東京におけるホテトルの中心地である大塚と巣鴨だけでも、約5060軒も営業していたといいますが、そのうちの何軒かは私の馴染みだったのでした。

ちなみに料金相場はホテル代別の90分2万5000円といいますから、この値段は現在でもほぼ変わらないのですが、やがてこの『ホテトル』のネーミングは、若い女の子たちが参入し始めると熟女との差別化を図るために新たに『デートクラブ』なる名前が登場し90年代には『DC』なる呼び名も登場してくるのでした。

バブル時代とも重なる80年代後半から90年代前半はこうして『ホテトル』『デートクラブ』や「大人のパーティー」といった本番業種の三行広告が夕刊紙を賑やかしていたのですが、中でもその本番系業種の躍進は著しく、軒数も増加の一途を辿っていくのでした。

しかしそんな『ノーパン喫茶』に続くおもしろ風俗ブームも1985年(昭和60年)に『新風営法』が施行されると、あっさりといったんその姿を消すことになるのです。

この法律による営業規制は細かく、各風俗店は午前0時から日の出までの営業が禁止になり、そのため歌舞伎町の一部の風俗店では、午前6時からの早朝営業を行う業者が現れたり、ラブホテルもロビーを広くしたり喫茶店や食堂を設ければ、これまであった立ち入り検査が免除されるとあって、にわかに増改築ブームが各地の風俗街で起こった年なのでした。

でもこの『新風営法』でみんなが一番驚いたのは、本番系風俗が規制されたのはもちろんだったのですが、既得権益として『ファションヘルス』などの営業を認めたことでした。

『ピンサロ』などは皮肉なことに営業時間が長くなって人気が復活し、その勢いでこの時期にあの『花びら回転』が五反田で開発されたりしています。

さらには派遣型老人福祉サービスの拡充にともなって、整合性を保つために新たに派遣型ヘルスの営業も認めた結果、本番営業の『ホテトル』や『デートクラブ』が一斉に営業許可を取り直し、新生『デリバリーヘルス』として堂々と営業を継続していったのでした。

当時の風俗街にはこの時期、なにをしても許されるかもといった疑心暗鬼な空気が充満していたのかもしれません。

だからこそ一気に色んなサービスを売りにした業種の風俗店が登場しては消えていったのでした。

そしてスポーツ新聞や夕刊紙の三業広告には、そんな風俗店に悪のり便乗した本番風俗や、サービス内容に料金が伴わないいわゆるボッタクリともいえる高額な料金を載せる怪しい風俗店で溢れかえっていったのでした。

そしてこんな状況は
90年代中盤まで続くことになるのでした。

そんなある意味混沌としていた『新風営法』施行直後に誕生した新しい風俗が『イメージクラブ』でした。

1986年(昭和61年)東京の鶯谷に本邦初の(イメクラ)イメージクラブ「夢」がオープンしています。

考案したのはなんと元教師とのことで、なんでも川端康成の「眠れる美女」や谷崎潤一郎の「鍵」をヒントに、アイマスクをしたパジャマ姿の女の子に夜這いしながら裸にして、その姿を観賞しながら客がオナニーするという、いまでいう『オナクラ』の要素のあるシステムなのでした。

ちなみにこの夜這いというシステムはその後に登場する痴漢電車ともども現在にいたるまで根強い人気のあるイメージプレイとして残っているのはご存知の通りなのです。

その後、様々なイメージを脹らませたイメクラ店が次々とオープンしていくのですが、まさにこの年はイメクラ元年とも言える年なのでした。

当初はマニアのプレイと見なされていたイメクラもやがて一般にも拡がりをみせ
90年代に入り一大ブームとなると、プレイルームのリアルさを追求するレベルがアップしていき、もはやアートの域にまで達する店まで登場していきます。

私がいまでも忘れもしないイメクラ店が(赤羽)と(池袋)そして(高田馬場)にありました。

まずそれは赤羽にあった寝台列車や山手線の車中を丸ごと忠実に再現したもので、その名も『レッドウィング』。

プレイルームは、列車の看板や調度品を売買するマニアのオークションで店長がわざわざ競り落としてきた、シートやランプなどを使いリアルに寝台車4床分を再現し、窓にも写真撮影した景色を合成したりしているのです。

更には列車に乗って録音してきた車内の音まで流す徹底振りでしたが、当時の写真週刊誌に掲載された途端にオープン1年あまりで警察に取り締まられてあえなく閉店となっています。


-------以上-------

新年一発目、第三弾はいかがでしたでしょうか?

現在みなさんにとっても馴染み深いデリヘルが主体となる性風俗産業の移り変わりには、
上記の様な背景があったのですね。

気になる第4弾!!
どうぞ楽しみに!!