こんにちわ。
管理人です。

先日ご紹介した、とあるサラリーマンによる「風俗の歴史と移り変わり」続編の第二弾を投稿します。

~前回記事~
風俗の歴史と移り変わり①


---以下、本文---


『ノーパン喫茶』人気が過熱する中、とうとう日本初のフードルが誕生するのでした。

それはトップレスを売りにしていた『歌舞伎町USA』のイヴちゃんでした。

当時は大学生のファンクラブがいくつも結成されるなど、いまでは考えられない異常な熱気に盛り場は包まれていたのでした。

こうして『ノーパン喫茶』がほぼ全国に行き渡った1981年(昭和56年)ごろに渋谷に『ノゾキ部屋』がオープンします。

そしてまもなくそこでも行われていたフィンガーサービスやリップサービスが定着し始めると、『ノーパン喫茶』でもそのサービスが始まりそれにより、皮肉なことに純粋なヌキのサービスの無かった『ノーパン喫茶』は消滅し実質的に『個室マッサージ』へと変わっていったわけなのです。

さらにそれが特にマンションで『トルコ風呂』を意味する『マントル』へと発展し、『口内発射』や『射精産業』なる言葉が誕生していくのでした。

ちなみにここでいう『トルコ風呂』は現在の『ソープランド』の前の呼び名です。

この呼び名が一斉に変わったのが
1984年(昭和59年)となっています。

それはこの年にトルコ人留学生による厚生省への訴えがあり、それに呼応した全日本特殊浴場協会連合会が新しいネーミングを全国に公募し、
2400通の応募の中から東京・渋谷のサラリーマン(24)の『ソープランド』に決定したといいます。

さてそんな個室マッサージの発展形として東京の池袋に生まれたのが、ヘルスのネーミングの元になった、その名も『ヘルス池袋』でした。

サービス内容は大人しい手ヌキのマッサージだけのそっけないサービスだったわけですが、女の子に白衣を着せて少しでも風俗色を無くし健全なイメージにするために、店名に健康を意味するヘルスを冠したわけなのですが、やがてそのヘルスに、さらに過激なサービスを意味するファッションを付けた、現在も残る『ファッションヘルス』が登場するのでした。

またこの時代には様々な業種の風俗店が誕生した時期でもあるのですが、中でも伝説としていまでも残っているのが『ラッキーホール』『愛人バンク』ではないかと思うのです。

まず『ラッキーホール』は当時雑誌の付録なんかにあったアイドルの等身大ポスターなどを貼ったベニヤの壁に、丸く空けた穴に客がイチモツを差し込むと、壁の向こう側でシコシコと手でしごいてもらって射精するというもので、当時はその料金が302,000円というお手軽さから爆発的な人気となりました。

1983年(昭和58年)には年間1万5千本をヌイたという伝説のゴットハンドの女性までも登場したりして話題となったりします。

また同じ年には、会員制愛人斡旋クラブである愛人バンク『夕暮れ族』が話題となります。

主宰者である筒見待子が電話番号のプリントされたTシャツ姿でTVのバラエティー番組に登場したり、雑誌の取材を受けるなどしてマスコミに売り出し一躍有名となるのですが、翌年にはあえなく売春斡旋容疑で逮捕されるという幕切れとなっています。

それから、この時期に誕生した風俗で忘れてはいけないのがマンションを利用した『ビデオ鑑賞会』とラブホテルを利用した『ホテトル』ではないかと思うのです。

というのも当時の私が一番ハマッタ風俗業種だからでもあるのです。

どちらもいわゆる本番系風俗なのですが、『ビデオ鑑賞会』は特に他には無い乱交パーティー系ということで特に思い出深いものがありました。

夕刊紙の三行広告にこの「ビデオ鑑賞会」が初めて登場するのは1992年(平成4年)のことでした。これは裏ビデオや外国ポルノの鑑賞会を意味しているのですが、実態は店で用意した複数の女性との本番が主なサービスだったわけです。

その後このお手軽な本番業種は瞬く間に人気となり広まっていきます。

そのうち警察の取り締まりを受け始めると、その名を「相互観賞」や「大人のパーティー」などと巧みに変遷を重ねてはしぶとく生き残っていくのでした。

ちなみに料金の相場は3時間3万円の時間内無制限発射でしたが、お相手する女性はほとんどがソープ上がりの熟女が多かったのでした。

それが90年代に入ると、外国人特に、前半はコロンビアなどの南米系のボニータでその後は韓国系の女の子を揃え『国際交流パーティー』とか『韓国パーティー』といったネーミングのパーティーが増えていったのでした。

当時のこの手のパーティーでは必ず、お酒やつまみが用意されていましたが、中には経営者とおぼしきママさんによる手料理が振る舞われたりするところがあったりして、私にとって本場のキムチを初めて知ったのは、焼き肉屋じゃ無くこの『大人のパーティー』だったのです。

余談ですが。

とにかくホノボノしたパーティーだったところもあったりして、これまでの風俗にない不思議な癒しのある場だったことは覚えています。


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さて、第二弾はいかがだったでしょうか?

前回に続き興味深い内容で、この先が気になりますね

また近日中に続編を投稿していきますので、乞うご期待ください。